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2017年3月28~30日 熊本・天草の旅

3月28日(火)
 みやま柳川ICから柳川、大川市内散策をして、金峰山北回りで宿泊地の熊本市内に入る。
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3月29日(水)
 朝から小雨だったが熊本城に行った。あれから1年の時が経っているが被害の大きさに驚く。震災直後に崩れた個所が目立つが、被害はその後に拡大していると思える個所が随所に見られる。ミキサー車が多数出入りしているので、今はまだ地固め最優先なのだろうと想像する。修理に20年かかるといわれる事は、現場に来ると理解できる。桜はまだつぼみ、満開の桜と熊本城を写真に収められる時にまた来よう。
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3月30日(木)
 上天草に宿泊、今日は天候回復見込み。天草の教会と海の眺めを楽しみに南下。
人の気配の少ない大江教会・崎津教会に立ち寄り、今年こそは世界遺産登録だろうなぁ... と思いながら昨年よりも整備・観光化されている事と禁教の歴史が、パンフレット等に大きく記載されている事に気付く。
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南端の牛深市まで行って、夕日を眺めてから帰ろうかなと思い下田温泉で足湯休憩。苓北町付近で太陽は分厚い雲に入っていった、22時自宅到着。

2017年3月22~24日 黒川温泉の旅

3月22日(水)

 30湯に入れる黒川温泉入湯手形(有効期限6か月)が当たり、寒い季節に温泉を楽しむ為、1泊目は黒川温泉、2泊目は天ケ瀬温泉を予約して黒川温泉に向かう。しかしながらWBC米国戦を最後までTV観戦したため自宅出発は13時半。市内で昼食後、高速道路に乗ったのは14時半だった。日田IC経由でR212→R442黒川温泉到着は16時半。温泉巡りは21時終了らしく20時位で入館停止となる。
 ①旅館 湯本荘:川沿いにカモを眺めながら入浴。
 ②いこい旅館:滝を眺めながら打たせ湯に入浴。
 ③お宿 玄河:貸し切り湯入浴。
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川には照明飾りが施してあった。

3月23日(木)
 ④源流の宿 帆山亭:野焼き後の山林を巡る小鳥と小川を眺めながら入浴。
朝から雨模様だったが、湯上りの散策に「すずめ地獄」を見学。すずめや小動物の死骸が見つかる事があり、この名称になったそうである。ガスの香りが少し濃い目?の冷泉。健康のため早々に退散。
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その後少し山に登ると雪交じりの雨となり、そのまま登って九重高原スキー場辺りでは積雪状態となった。気温0℃、路面には積雪なし。温泉で火照った体も徐々にクールダウン。
 瀬の本高原でランチ後、再び黒川温泉へ
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 ⑤黒川温泉 里の湯 和らく:冷たい雨の中で広々入浴、場所により温度が異なり広さ実感。
次は「湯峡の響き優彩」に入ろうとしたが、清掃中だったので、近隣の旅館にしむらへ...
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 ⑥旅館にしむら:玄関向かいの「地獄露天風呂」川沿いの小屋で入浴、こじんまりとして安心感のある露天風呂。

 大観峰までドライブして今夜の宿、天ケ瀬温泉へ。
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3月24日(金)
天ケ瀬温泉に何度も浸かって、また今日も黒川温泉に向かう。
 ⑦お宿 野の花:女湯清掃中のため、男湯を貸し切りで使わせてくれた。川沿いに降りて3段の湯があり。
その後、満願寺温泉を見学、鎌倉時代にこの地が栄えていたとは...知りませんでした。しかし何でこんな山中に?
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2017年3月8~9日 えびの高原の旅

3月8日(水)

 昨夜東京から戻り、夏のロケハンのつもりで予定していた「えびの市」に午後からレンタカーで向かう。天候は冬型の気圧配置、雪も想定はしていたが到着した夕刻の高原は既に冬景色だった。明日のスケジュールを簡単に打ち合わせて、えびの高原荘の温泉満喫・爆睡。

3月9日(木)
 6時から外出、予想以上の雪景色の中、不動池まで散策。
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途中で鹿の声を聴きながら、硫黄山からのガスの臭いも少し感じながら、誰もいない高原に一人いると、整備された観光地だと判っていても心細くなる。街の群れに慣れたせいだろうかな? と自問自答しながら夜明けとなった。
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 朝食を済ませて、チェックアウトしてからは、ガイドさんと合流して散策開始。
赤松の林では、少し異様な雰囲気のツタウルシの存在が目立っていた。
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標高1200mの宿泊所から1363mの白鳥山へは、起伏の少ないハイキングコースだ。だけれども160mの標高差とは思えない気象状況の変化に驚かされる。山頂付近は冬山だった。
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六観音池周辺では少し日差しもあったが、依然として高原は雪雲が掛かったままの状態。
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明日は晴れる。という天気予報に後ろ髪を引かれながら帰路につく。えびのIC付近からは韓国岳の山頂が夕日に照らされていた、嗚呼無常のサラリーマン放浪者。いつの日にかまた来よう。
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ソニーストア

楽天トラベル株式会社

2017年3月4日 地島の旅

3月4日(土)
 暖かな春の日差しに誘われて、地島(じのしま)に行ってみた。宗像市神湊(こうのみなと)から「ニューじのしま」第3便 12:20発に乗船し、地島の泊渡船場に向かった。大人@370円
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港の波止場にはいろいろなメッセージ(落書き)があって、歓迎ムード漂う。たぶんメッセージにあるような勢いは期待できないが、自然がそのままにあるのだろうと反対に期待する。
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遠見山遊歩道を山頂(186m)に向かって進む、階段は400段らしいがかなりキツイ、遊歩道の周囲は明らかにイノシシが今朝方まで暴れている状況だ。いきなり登場するのではないか?と心配するほどの荒れ様なのだ。夜間の大木の椿の下は、イノシシの運動場状態だと想像できる。
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沖ノ島展望台からは微かに沖ノ島を眺めることができた。  ↑の右上(200mmレンズで撮影)
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想定通りの椿の花を眺めながら、白浜渡船場経由、倉瀬展望台へ。
ここは、この島で一番美しい眺めだ。沖ノ島も少し近くに見えた... でもここから50kmもあるらしい。
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 のどかな地島だったが、ここはイノシシの島。 なので「イノ島」かな?
駆除が必要なのか?自然に任せるのか? 判断は難しいが、人々と共存できればお互いに幸せなのだろう、今後も事故なく自然の島でいてほしい。そんなことを思いながら歩き疲れて白浜渡船場から島を離れた@400円。

2017年2月20~22日 日奈久、水上の旅

2月20日(月)
朝から悪天候、全国的には春一番の予測の中、だらだらと熊本方面に向かう。結局福岡県を離れたのは午後2時過ぎ。鳥栖IC→みやま柳川IC→大牟田→松橋IC→日奈久IC、午後5時前に宿に到着。
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半露天風呂付きの部屋なので温泉三昧、とろみのある無色透明のお湯は違和感なく、温度もぬるめで長湯ができた。暖房なしでも部屋は暖かく一時冷房を入れ湯上りに涼んだ、夕食は部屋食。
 600年も歴史のある温泉だそうであるが、現在は震災の影響もあり観光色はあまり見られない。多分震災後に更地にしたと思われる空地も目立ち、再出発の準備中状態だ。まだ営業再開ができていな宿泊施設も多々あり。変化を楽しみにまた日奈久温泉に漬かりに来よう... そう思った。

2月21日(火)
 早朝、昨日の悪天候から晴天を予感して空を見上げたが、どんよりした曇り空の朝でした。よって、朝の散歩と撮影はやめて温泉三昧。美しい海を眺めたい... と思い海沿いに南下。南九州西回り自動車道は無料なので快適ドライブ、芦北ICで降りて佐敷城跡に立ち寄る。
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 いろいろな人がこの城を作っていたようであるが、最終は加藤清正によって築き上げられた城、肥後と薩摩の境にあり、陸路の要だった様である。城跡からは四方が見渡せ眺めが良い。1592年(文禄元年)6月、加藤重次が秀吉の朝鮮出兵に従軍している隙に島津の家臣に攻め込まれた様であるが、留守番役によって奪還されている。関ヶ原の戦いでも島津から包囲されていたが守り抜いたそうだ。、しかしながら1615年に一国一城令が布告され、佐敷城は廃城となった。島原の乱以降に本部から城の壊し方がぬるいと指摘され、さらに破壊したらしい。
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 海の上に立つ松崎小学校によって見た。すでに廃校となっていたが庭はきれいに整備されていた。
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球磨川をさかのぼり、人吉、あさぎり、多良木、湯前、水上町へ
人吉からは広い平野が見渡せ、のどかな風景が広がっている。水上町に向かうと市房山がどんどん迫ってくる。九州らしく1700m級の山でも雪は見えない。市房ダム湖周辺は桜の名所らしく10,000本の桜並木をPRしていた。
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市房神社の手前まで車で登れる。平野部は14℃でぽかぽか陽気であったが、神社手前は7℃程度と寒さを感じた。今夜の宿は民宿。なんだか田舎に帰ったような感じで、座敷に通された。お風呂は温泉で、希望の時間にスタンバイしてくれてありがたい。
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鹿やイノシシ料理を少し心配したが、とても美味しかった。酒が進みいつものように爆睡。
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2月22日(水)
 人吉を中心とするこのエリアは「相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里~」として日本遺産に2015年に登録されている。その為なのか立派な神社や寺の楼門がたくさんある。もう少し時間をかけて回ってみたい地域だなぁと思いながら帰路についた。
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 帰り道に人吉城に寄って、700年の説明を眺めて少し理解できた。人吉城歴史館@200円
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 最後に、相良藩田という蕎麦屋さんでランチ、美味しかった。

2017年2月16日 北九州の旅

2月16日(木)

 「今日は最高気温が18℃になる」との天気予報に誘われて北九州を目指して出掛ける。遠賀川河口の魚見公園展望所に立ち寄り海を眺める。
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海岸には不思議な穴?が開いていて、人工物なのか?と疑う程丸い穴が開いていた。
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芦屋の航空基地からは午後の練習が始まり、頭上を通過していく。ご近所の方々はいつもの光景だと思われるが、私には少々違和感のある光景であった。なぜか午後に漁船も順番に戻っていた。
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最終目的の若松に行ってみたが、想定以上に何もない。唯一人が集まっていたのは確定申告の会場だった。
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商店街を散策してみたが、今日の私との感性は合わず、嫌いな魚臭にもめげて早々に退散する。
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福岡着17:40



2017年2月7~9日 長崎の旅

2月7日(火)

昨夜、東京から戻ったばかりだが、そそくさと長崎に向かう。高速道料金を節約するために唐津方面からアプローチ。途中、菜の花が咲いていたので「福ふくの里」に立ち寄った。農産物だけでなく海産物が豊富で、魚の臭いもなくとても新鮮そうだ。早咲きの桜も少し開花しており、九州の春は早い!と実感する。
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「福ふくの里」http://fukufuku-sato.com/

 武雄温泉を目指してナビがすすめる最短コースを走ると「川古のクス」なる場所を発見。遠くからはその木の大きさは判らなかったが、近寄るとデカい、樹齢3,000年だそうである。避雷針も設置され、樹木自体も手当されており公園もきれいに整備されていた。「川古のクス」は、全国巨木 第5位だそうなので、1位~4位もいつの日にか出会ってみたいと思った。
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 武雄温泉「元湯 @400円」に初入浴。無色無臭の湯であるが、少しぬるぬる感があり、温泉らしさを感じることができる。湯上りにはもっと実感する、素晴らしいお湯でした。ぬる湯とあつ湯は、どちらも個人的には熱めで、30分位の入浴が限界。 嬉野ICから高速道路で長崎へ... 15時到着。
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http://www.takeo-kk.net/spa/

 長崎ランタンフェスティバルは、昨年に引き続き2度目の体験である。宿で少し休憩して夕刻から夜間まで楽しませてもらった。(宿:ワシントンホテル)
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夕食は茶碗蒸し
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2月8日(水)

朝、出勤模様の長崎市内を朝食散歩。夜の鮮やかなランタンを翌朝見ると、気持ちなのか現実なのか? 少し色あせて見える。よく見ると、長年使われ手直しされているモノも多くて、主催側の苦労も感じられる。この季節にこれだけの観光客を全国から集める事が出来ているので「長崎ランタンフェスティバル」は大成功のイベントだと率直に思う。
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 ランタンという言葉は、私生活の中で使われていない。なので新鮮に耳に響く感じがする。普通はランプとかチョウチンなどと表現する。ランタンを調べると、原子番号57記号Laだ、と記述がある。どこかでまたであったら長崎を思い出そう。
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もう少し天気が良い感じなので、スイセンを期待して野母半島(長崎半島)に向かったが、スイセンはほぼ終わりでした。
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そのまま先端の樺島(かばしま)まで行ってみた。「大うなぎ井戸」なる観光地があった。
井戸の横に大ウナギが水槽で展示してあり、ここが北限の生息地なのだそうだ。大ウナギは屋久島以南には普通にいるようである。樺島の田原川を今も大ウナギの稚魚が登っているらしく天然記念物となっている。

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外海というパンフレットを眺めて、黒崎教会に立ち寄る。普通に国道を通過するとここの教会以外には目立つものがなく、前回通過した時も黒崎教会だけ立ち寄っている。なので今回はもう少し関心を持ってみると、独特な石積みやド・ロ神父の物語が見えてきた。外海歴史民俗資料館とド・ロ神父記念館@300円、旧出津救助院@300円はNHKがロケ中でした。
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放置すれば無くなってしまう様な観光資源が、きれいに整備されてあり、明治時代にここにいたフランス人は、美しい物語になって地元の方々に今でも愛されていました。
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旧出津救助院 http://shitsu-kyujoin.com/      そして今夜は佐世保泊。

2月9日(木)
 冬型の天候となり寒い朝、展海峰に行ってみるが寒くてたまらない。そうだ今日は温泉だ!
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 そう思い有田方面に向かう、途中の山の頂が白くなっていた。有田の町を散策してみようかな?と思ったが寒さに耐えられず。有田町歴史民俗資料館に入る@100円。誰もいない、これまた寒い。入館後照明と暖房ON。別棟もあり有田焼の歴史も学べて興味津々。暖かい日にもう一度訪れたい。
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 最後は武雄温泉元湯へ... 今回の旅は武雄温泉元湯に始まり、武雄温泉元湯に終わる。

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2017年1月25~27日 島原半島の旅

1月25日
筑後川昇開橋(全長507m) 重要文化財として残され、現在も稼働している。誰のため?
渡れるのは人だけ、時刻も決められているが無料で渡れる。旧国鉄の佐賀線だったそうである。
県名を冠にした鉄道の廃線。様々な人の思いがあったのだろうなと想像しながら晴天の冬空に観光する。
 ドロンパ? オバケのQ太郎に登場するアメリカお化け? なぜ道の駅なのだろうか?
調べてみると、佐賀市南部地域(川副・諸富・東与賀・久保田)を「ドロンパ王国」と名付けたらしい。ちなみに国王は「ムツゴロウ」だそうだ。
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http://www.shoukaikyou.com/

 寒波の影響で白化粧した普賢岳を諫早湾の堤防から望む。一般道路を陸上から島原に向かうには、大変便利な堤防道路だ。しかしながら時々通行止め期間があり、遠回りさせられるので事前に確認しておきたい。今回は1月27日から通行止めであった。
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 雪の普賢岳。今回は夕方と朝のシーンを眺めることができた。
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 今日の宿は、東洋九十九ベィホテル。
対応、設備、価格に大満足。夕食には郷土料理が準備されており、冷酒・普賢岳に心地よく爆睡。部屋からは美しい朝日が望めた。私は夜明け前に撮影に出かけ快晴の空に朝日を浴びる普賢岳を撮る。
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1月26日
 はじめて島原市内観光に向かう。武家屋敷には観光客向けの無料駐車場があり、しかも見学も無料の武家屋敷街を通り抜けて島原城に至る。なぜか溝を流れる水が美しい。
 島原城は1616年に松倉重政が奈良県五條市から転勤して来たが、舎宅(日野江城)が古かったので、元和4年(1618年)から7年もかけて新築した自宅だ。島原の乱が1637~38年なので、乱を誘発した重税策や雲仙地獄の拷問は、ここの現場指揮官:松倉重政が行ったのだ。あー恐ろしかぁ~ 転勤後は、南蛮貿易で儲けていたので宗教は黙認していたようであるが、本部(徳川)からの厳しい指導により、本格的にキリシタン弾圧を行った様である。なので島原では嫌われ者だったと思ってみたが、墓も残っており今でも祀られていた。
 松倉重政は1630年小浜温泉で急死している。(57歳)
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 島原城は、明治時代に廃城となり建物は処分されたが、1964年に天守閣を復元し2016年に長崎県指定史跡になっている、来年で建築をはじめてから400年。
 当日は堀の水をポンプで吸い上げて、天守閣に放水する消防訓練が見られた。売店のスタッフも店を閉めて訓練に参加されていたので、観光状態ではなかったがなかなか迫力のある放水シーンでした。
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 島原の商店街にある「かんざらし」のお店には、まねきねこが満載だった。街のあちこちに湧水がありどこも水が美しい、庭の池も湧水が多いそうである。島原市内は街を挙げて観光に取り組む姿勢が感じられ、見ている側にはよく伝わってくる。昼食は「六兵衛」を味わう。
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株式会社 島原観光ビューロー
http://shimabaraonsen.com/

 午後から原城に立ち寄る、晴天に原城から普賢岳を望む。
もしも島原の乱の勝敗が異なっていたら、どんな現世になっていたのか?私には想像力が足らない。そんな事も思いながら、暖かな島原半島を巡る。
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夕刻には小浜温泉に到着し夕日を眺めながら蒸し釜屋で夕食。夕日は美しいダルマ太陽だった。
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 小浜温泉の宿は「なごみのやど 旅館 富士屋」確りした造りの2階建て旅館。歓迎のネーム看板が気持ちを盛り上げてくれる。素泊まりであったが広い部屋に小庭付きで1Fの温泉も小浜の湯そのもの、小浜温泉は私の好きな温泉の一つである。

1月27日
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 小浜温泉を散策する、ここも湧き水が多く美しい。光泉寺は名前通りの美しい湧き水を利用した庭園がお見事。炭酸泉も見学し温泉らしい風情を楽しむ。小浜町歴史資料館を見学(@100円)、小浜温泉の歴史も学べて面白い。源泉から湯を引くパイプに詰まる湯の花に苦労しているお話を聞いて、タダで湯が沸いて毎日温泉でいいな。と思うのは素人の観光客だと再認識。お湯にも管理する人にも感謝。
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 小浜温泉で昼食はトルコライス、午後からは口之津へ。
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 口之津歴史民俗資料館に立ち寄る。@200円、観光客はだれもいなくてとても静かでした。
古い道具が、資料館らしくきれいに展示されおり200円の価値は十分あり、海の資料館には「古野電気」の資料あり、魚群探知機のFURUNOはここから始まった事を知った。
なぜか「与論館」なるものもあり、与論島からの移住者が多くいたらしい。今でも修学旅行などで交流している様子が展示してあった。
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 「おこんご」には遊郭があり、街が繁栄していた事が記されていたので見学に行ってみると、バス停「おこんご」があった。ついでに瀬詰崎までいってみた。ココから自宅まで3時間ノンストップドライブ。(多久ICから唐津経由)
夕刻から仕事。

イオンショップ

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2017年1月11~13日 別府の旅

1月11日
 由布岳の冬景色を期待しながら別府に向かう、想像通りの姿に湯布院ICで高速道路を出た。由布岳、湯布院IC、由布院温泉、湯布院中学校、由布院小学校、ゆふいん駅など色々な表現のある温泉地である
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青空に浮かぶ雲が、由布岳に次々と影を落としながら通り過ぎて行く様は、すこし色気を感じる。なぜかその先にある鶴見岳とは感じが違う。
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 この辺りの急傾斜の山は、昨年の地震の影響で崩落個所が目立つ、震災後の道路工事もまだまだ続いている。狭霧台展望Pは閉鎖、地震後の崩落は降雨によって発生する為、今後も警戒が必要な状態が続く。
 別府ではビジネスホテルに2泊した。大浴場(温泉)もあり、滞在にはお手頃価格。これこそ日本の宿。
今回大変お気に入りのホテルサンリバー。次回も利用したい。
 別府駅東口にある商店街は、昭和の観光温泉地を感じる事ができる場所。
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2年ほど前から何度も訪れているが、今回急激な衰えを感じてしまった。何とかしたい!と活動している空気は感じるが空回り... ここの雰囲気は是非とも後世に残してほしい。個人的にそう思う。
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こことは対照的に鉄輪温泉エリアは元気になっている。
地獄めぐりだけでなく、周辺の旅館や温泉、cafeなどのリニューアルが目立つ。
商店街との違いは、実経営者の年齢層かも?そんなことを身勝手に思いながら観光の旅を続ける。

1月12日
 朝から温泉、別府湾に日が昇る。今日も良い天気だ! と思い佐賀関方面に向かった。
海の風景に青空を期待したが、全国的には「寒波襲来」とのNewsが流れる中で思うような天候にはならず。
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 誰もいない佐賀関 黒ヶ浜、海も穏やか。そして岬の先端、関崎海星館から関崎灯台へ。
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ここからは高島の向こうに四国の佐田岬が見える。豊予海峡は速吸瀬戸とも記載してある、幅は13km。
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数年前仕事で四国の南予を訪れた時に、宮崎県との交流の話題に違和感を感じたのだが、眺めると中四国と九州はここの面で隣接していると更に実感する。なので橋を架ける話はないのか?と検索するとあった。
トンネル or 橋の計画は、かなり前からあり技術的に可能ならしい。金がないので凍結したままの様である。
未成年時代に見た鳴門海峡を思い出した。橋は無い方が景観は素晴らしい。

 旧佐賀関町の町の花:椿が岬周辺では大木になっている。大木なので花はあまり見えない。
水仙や菜の花が咲きはじめていた。アジサイの季節、ウミネコを眺めにもう一度立ち寄って見たい。
このエリアに入ると一般的には関アジ、関サバと言われるが個人的に生魚は好まないので遠慮する。
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 大分市に戻り、王府にて昼食(ニラ豚、ニラちゃん) その後、大分城址公園・府内城跡に立ち寄る。
現在は海岸線から1km以上内陸部なのだが、別名:荷揚城とよばれる海面に面した城だったそうだ。
城跡の横には「荷揚町小学校」がある。現在は堀の水がとてもきれいで、生息する鯉や鮒、亀など良く見える。こんなにきれいな堀の水は珍しい。この設備を全国に普及させてもらいたい。
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 寒い中、高崎山の恋愛事情を見学し明礬温泉へ。
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明礬の里は外国人団体客が溢れていた。
夕食は「とり天発祥の店」と書いてあったレストラン東洋軒に行く。とり天、中華共に美味かった。
今日は中華三昧な1日となり、何度も湯につかって眠る。

1月13日
 今日も朝から温泉三昧、チェックアウト後もひょうたん温泉へ、少し期待外れ。
晴天、平日の静かな鉄輪温泉街を散策。
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豊後高田市に寄り道し、201号線八木山バイパス経由で帰宅。


なんでも酒やカクヤス(ビール・ワイン等の通販・宅配)

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